頑張ることと、委ねること

ヨガを続けていると、自分の体の感覚に意識を向けることが少しずつ上手になります。
今日はここが硬い。
呼吸が浅い。
肩に力が入っている。
いつもより動きにくい。
そんな小さな変化に気づけるようになる。
そして面白いのが、この「気づく力」は、体だけではなく自分の感情にも向けられるようになっていくことです。
「あ、今すごく焦ってるな」
「これは執着しているのかもしれない」
「絶対こうしたい、って力が入りすぎてるな」
自分の状態を、少し離れたところから見られるようになる。
私自身、自分のパターンとして気づいたことがあります。
「絶対にやろう」
「ちゃんとしよう」
「なんとかして手に入れよう」
そう思っているときほど、ものすごく力が入っている。
そして頑張って頑張って、やっと何かをつかんだとしても、つかんだ頃には息切れしている。
「これを手に入れるには、こんなに頑張らなきゃいけないんだ」
そんな消耗感まで一緒についてくる。
もちろん、がむしゃらに頑張ることも、ジタバタすることも大事です。
私もそういう時間があったからこそ、今わかることがたくさんあります。
でも不思議なことに、本当に物事がスムーズに進むときって、むしろ逆なんですよね。
そんなに力を入れていない。
無理にこじ開けようともしていない。
ただ自分のやることをやっていたら、いつの間にか話が進んでいたり、人とつながったり、状況が変わっていたりする。
「あ、いいんですか?」
「こんな感じなんだ」
くらいの感覚。
もちろん嬉しい。
でも「やったー!!」という大きな高揚感というより、
「あ、ありがとうございます」
と、そのまま流れの中を進んでいくような感じです。

体も、同じなのかもしれません。
柔らかくなりたい。
痛みをなくしたい。
姿勢を良くしたい。
そう思って何かを始めても、今日やったから明日すぐ変わるとは限りません。
むしろ、本当に欲しい変化ほど時間がかかることもある。
だから必要なのは、
やることはやる。でも、結果を急がないこと。
今日もやる。
明日もやる。
調子がいい日も、いまいちな日も。
できた、できないに振り回されず、淡々と続ける。
地味だけれど、結局そこが一番強い。
そして、あるときふと気づく。
「あれ?前より動ける」
「あれ?痛くない」
「あれ?なんか変わってる」
変えよう、変えようとしている最中ではなく、
淡々と積み重ねている間に、体が勝手に変わっていた。
人生にも、そんなところがある気がします。
意欲も大事。
挑戦する力も大事。
つかみにいく力も大事。
でも、意欲が強い人ほど、
諦める力。
手放す力。
委ねる力。
反対側の力も、同じくらい必要なのだと思います。
ヨガでも、無理やり体を伸ばそうとするほど体は抵抗します。
少し力を抜いて、呼吸して、待つ。
すると自分がどうにかしなくても、体が勝手にゆるんでいく瞬間がある。
もしかしたら「整う」というのは、自分の力で無理やり理想の形にすることではないのかもしれません。
足が痛い。
腰が痛い。
体が硬い。
猫背になっている。
それさえも、
今の自分の体にとっては、何か理由があってそうなっている。
まずはそこから始めてみる。
今の状態を否定して、違う自分にしようとするのではなく、
「今はこうなんだな」
と気づく。
やるべきことは淡々とやる。
でも、変化を無理につかみにいかない。
頑張ることと、委ねること。
その両方を持てるようになると、
体も人生も、少しずつ力を抜いたまま進めるようになるのかもしれません。
整えようとしすぎなくても、整うものは整っていく。
ヨガを通して私が少しずつわかってきたのは、そんなことです。


